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nucleus(ユーリ×エステル)

「おまえって、本当に本が好きなんだな」
 不意に聞こえたその声に、エステリーゼは顔を上げた。その動きに合わせて、淡く優しいピンク色の髪が肩の上でさらりと揺れる。
 声の主はエステリーゼが掛けているソファの、対に置かれた向かい側に掛けている。着崩した騎士の団服。肩から流れる漆黒の長い髪。背もたれにぞんざいに体を預け、帝国次期皇帝候補であるエステリーゼの私室に在室することを許された騎士にあるまじき風体。
 しかしその眼差しは大事なものを愛でるかのように優しく、そしてエステリーゼの彼を見る目も、一介の騎士に対するそれとは明らかに違って、どこか熱を帯びている。
「本は好きです。世界の様々な様子や知識を一つ一つ知っていくことは楽しいですから。このお城から出られない分、余計に」
「っと、そうだったな。悪い」
 騎士の目が僅かに陰る。
「気にしないでください」
 エステリーゼは優しく微笑んだ。
「それにわたし、ここでの生活が嫌いなわけじゃないんですよ?」
「ん?」
「確かに、外に出てみたい気持ちはありますけど……。でも、ここに居れば貴方に会えます。だから、今のままでも十分幸せなんです」
 そう言って、もう一度微笑むと、騎士は優しげな目でエステリーゼを見つめた。
 エステリーゼの目が本へと戻る。目線は、途切れていた文章を探りあてる。再び本の世界に戻ろうとしていたエステリーゼに、対面の騎士が意地悪っぽく口角を吊り上げたことに、気付く様子はない。
「そうは言うけどな」
 エステリーゼの目が本からまた騎士へと移る。
「オレ、少なくともその本よりも下な気がするんだがな」
「?」
「さっきからずっと、その本。おまえにみつめられっぱなしじゃねえか」
「!」
 エステリーゼの頬がたちまち真っ赤に染まる。なにか言いたくて、口をぱくぱくさせるものの、なにも言葉は出てこない。狼狽しきった表情で騎士を見れば、にやにやと楽しそうに笑っている。
「……も」
「も?」
「もう! ユーリったら、意地悪です!」
「意地悪なのはどっちなんだか」
 そう言ってにやりと笑うユーリが、本に嫉妬しているのだと理解して、そんな彼が可愛いやら、言われた台詞が恥ずかしいやらで、エステリーゼの頬は依然火照ったままだった。


【nucleus】


「けど、オレがずっと見てたのも全然気付いてなかったんだろ?」
 それに関しては返す言葉が全くない。忙しい騎士団の任務の合間にこうして会いに来てくれたというのに、読書とユーリ、二つの幸せなことがここに同時にある、ということに浮かれて、ユーリに失礼なことをしてしまった。
「ごめんなさい……」
「ま、いいけどな。それにしても、ものすごい集中っぷりだな。この分だと、このままオレが居なくなっても気付かないんじゃねえか?」
「! ユーリ、居なくなってしまうんです?!」
 慌てて立ち上がる。膝の上に乗せていた本が、ぱさりと床に落ちた。それにも構わずにエステリーゼは向かい側のソファに座るユーリの胸に飛び込んだ。
「おいおい。何も今行くなんて言ってねえじゃねえか」
「嫌です。どこにも行かないでください、ユーリ……!」
 エステリーゼの背中に温かな手が回される。だけど、ユーリは何も答えず、曖昧に微笑んだだけだった。

 それから、ユーリの所属する騎士団が、城を離れ、結界の外での長期の任務に就いていることをエステリーゼが知ったのは、その一週間後だった。

「あの……」
 その一ヶ月後。エステリーゼは一人の騎士を捕まえ、件の任務について訊ねた。聞いていた帰還予定日を過ぎている。それが前後することは珍しくないことだが、さすがにエステリーゼは不安で仕方無かった。
 もう、予定日を二週間も過ぎていたのだ。騎士は、確かに遅いが心配ないだろうことを口にした。

 それからまた一月が過ぎた。騎士団は例の隊の遅すぎる帰還に、赴任先に増援を送っていた。
 しかしそこでとうとう死者が出た。

 ユーリがエステリーゼの私室を訪れたあの日から、半年が経った。もう、それほどにも彼の顔を見ていない。不安で不安で仕方がなかった。ユーリは無事なのだろうか。死者が出るほどの危ない任務。エステリーゼの胸は不安ではち切れそうだった。何度も不吉な夢を見た。早くユーリの安否が知りたかった。同じ任務に就く全ての騎士を案じているはずなのに、ユーリだけに過剰な心配をしている自分に嫌悪して、それでも彼を案じずにはいられなかった。
 思い返すのは、彼の温もり。体温。意地悪っぽい微笑み。耳元で囁く声。あの時のこと。どうして自分は彼との時間を大切にしなかった。悔やんでも悔やんでも、悔やみきれない。
「エステリーゼ様、そろそろ……」
 侍女の困り果てた声にはっとなる。再三、私室に戻るようにと申告を受けていた。ホールの吹き抜けの階段は、城を出入りする騎士の姿がよく見えるが、何しろ風通しが良くてエステリーゼの剥き出しの肌をも容赦なく撫でるのだ。
「わかりました」
 さすがに侍女の様子に罪悪感を覚え、エステリーゼは消え入りそうな声で、そう答えた。
 誰も居なくなった吹き抜けの階段に一人佇む。聴こえる音は、無い。全くの無音。泣き出しそうな顔で自室へと向かう。
 その足が、止まった。
 音が聴こえた。
 衣擦れの音。足音。誰かが階段を上って来る音――!
 転がるように階段を駆け降りる。
「よう。まだ起きてたか……」
 夢にまで見た騎士の姿があった。
「……!!」
 言葉もなくその胸へと飛び込んだ。帰還の疲れからか、支えきれずにユーリの膝が折れ、二人して階段に倒れこんだ。
「無事だったんですね。無事で、帰ってきてくれたんですね……!」
「時間はかかっちまったが、隊のほとんどは無事だ。何人かは――」
 エステリーゼはユーリの首にぎゅうっと抱き付いた。腕に巻かれた包帯。剥き出しの肌の擦過傷。ぼろぼろの騎士団服。満身創痍のユーリの体。痛々しくて涙が溢れてきたが、それでも彼がこうして存在していることに、何かに感謝せずにはいられなかった。
「エステル?」
 エステリーゼはユーリの体に固くしがみついて離れない。
「恐かったんです。後悔してたんです。もう、離れたく……ないんです……!」
 何よりも、誰よりも、彼のことが大切だから。
「そりゃ、光栄だな。少なくとも本よりは上になれたってか」
 皮肉っぽく笑う声に、頬がほんのり赤く染まる。
「どこにも行かないでください。……いえ、行ったとしても……絶対帰ってきてください……」
 背中に温かな手が回される。
「当たり前だろ。オレは騎士で、おまえは主なんだから」
 騎士の声が、低く耳元で囁いた。




ここまで読んでくださってありがとうございます。

騎士であっても相変わらずなユーリが好きです。上には仕えねえけど、おまえには仕える、みたいな。

リクエストありがとうございました!



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